元内閣総理大臣(故)宮澤喜一氏の言葉
保守とは、思想などと言えるものでなく言わば生活態度とも言えるもの。人は皆、現在という空間と、これまで歩んて来た歴史という時間の交差するところで生きている。それゆえ、現状を肯定する気持ちと、進歩と改良を求める気持ちの両方をあわせもつ。そんな中で保守的な態度の人々は、何か改善するときに、それが全体のバランスを崩さないか、常に気を配るものだ。その所の見通しについてたえず考え、迷い、その結果改革へ向けて決断することもあるし、しないで済ますこともある。
まさしくそういう事だと私も思います。
先日の朝日新聞の記事ではこの言葉を引き合いに出して、武器輸出などの政策を進める高市総理の姿勢を正しい保守ではないと批判していました。でもこの記事は間違っている。武器輸出は保守≠ニ言われる感覚から生まれるものではなくリアリズム≠ツまり現実主義の中から必要に迫られて行なわれようとしている、安保政策の転換だ。これを保守主義云々と言うのは実にこじ付けというもの。
宮沢総理は当時「武器を売って稼ごうというほど困ってはいない」と国会で答弁したこともあったそうだが、その宮沢総理の頃、北朝鮮が日本海に向かってミサイルを発射するなんて考えもしなかったし、中国の武力は今の十分の一も無かったであろう。その頃と今を同じ感覚で比較すること自体がナンセンス。今の我が国は防衛のための武器を自活したいが、それらの産業が衰退してしまって何十年も前の飛行機や銃で国を守っているのが現状。これを信頼できる同盟国との間で武器の輸出入の道を開くことで、生産力を維持し自活する力を高めようとしている。これがリアリズムの中の選択なのだ。
では、宮沢氏の言う保守に対して革新とは何か。
過去の歴史や慣習にとらわれず、未来に向かって改革を図ろうとすることであり、手順を踏まずに一気にそれを成し遂げようとするのが革命と呼ばれる。私はそういうことだと思います。
ところが今、いわゆる革新を自認して政権を批判する人たちの姿勢はおよそ革新的な姿勢ではなく、むしろ昭和時代のノスタルジーから抜け出せない回顧主義でしかないのが実に残念なこと。言わば今の革新は、現実を見ようとしない保守でしかない。
他者を批判する前に「現代の革新とは何を標ぼうすべきか」そこを考えなければ、リベラルと言われる勢力は衰退するしか道は無いし、それはこれからの日本という国を俯瞰したとき、好ましくはないことだろうと、私は思う。