何日か前まで神奈川新聞の特集記事で横須賀の市長選における候補者擁立劇のドタバタを一週間にわたって報じていました。一地方の首長選挙を投票が行なわれる前から、しかも特集で報じるというのは選挙結果に多大な影響を与えかねないことであり、若干の驚きをもってこの記事を読みました。
だれがだれを担ぎ上げて、だれが手を引いたとか・・・実にどの選挙でもありがちなドタバタが紹介されているのですが、書いた記者はかつて県央の担当もしていた人で私も面識があり、その正義感の強さは印象に残っている人です。
きっとこんな記事が書かれる裏には我々一般読者には計り知れない何かがあるんだろうなぁ。などと思いながら新聞を読んでいます。
2005年05月31日
2005年05月29日
福祉の現場から
2005年05月21日
今日のことわざ・傍目八目(おかめはちもく)
傍目八目・将棋をしている人を傍らから見ていると八手も先まで手が読める。つまり、第三者の立場で見ると熱くなっている当事者よりも冷静に物事を見ることができるという例え。
政治の世界もこうして在野から眺めればこそ見えてくるものもあるようです。「良薬は口に苦し」という言葉もあり、行き詰ったこの時代、真に民を思い良薬を処方すれば「苦いぞ」と反発もあるのでしょう。
「政治家はほめられても驕(おご)らない。非難されても驚かない。」とは池田大作氏の言葉だったか・・・・
政治の世界もこうして在野から眺めればこそ見えてくるものもあるようです。「良薬は口に苦し」という言葉もあり、行き詰ったこの時代、真に民を思い良薬を処方すれば「苦いぞ」と反発もあるのでしょう。
「政治家はほめられても驕(おご)らない。非難されても驚かない。」とは池田大作氏の言葉だったか・・・・
posted by おさだ at 07:18
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| 政治
2005年05月18日
施設にて

施設の運営もおかげ様で、本当におかげ様で順調に軌道に乗り始め、グループホームは来月当初には満室になる予定です。私も一時期のストレスから解放されはじめ、これからは少しは政治のことも考える余裕が持てそうです。
2005年05月15日
ほっとステーションに感動のご寄付
2005年05月14日
清掃活動も
2005年05月12日
体育協会人事
私が理事を務めさせて頂いております海老名市体育協会の常任理事会が本日開催され、16年度の事業及び決算報告と17年度の事業及び予算報告が承認され、続いて1月に逝去された三田会長の後任人事が議題となりました。話し合いの中ではこの際各種役職の組み換えも含めてきちっとした新体制を確立したい意向と、三田会長の残任期間中でもあり暫定的な人事にとどめるべきという意見があり、話し合いの結果これまで理事長をお努め頂いておりました小山巌氏(ソフトテニス協会)を新会長に選任することとなりました。会長の任期は来年3月31日までとなります。
2005年05月09日
活動しています!
ゴールデンウィークも最後の週末を迎えましたが、今年もやはり息つく間も無く仕事と政治活動を両輪でこなす黄金週間となりました。
金曜日には日中みっちり働いて夜は青年会議所の神奈川ブロックの若いメンバーと地方分権について激論を交わし、土曜日にはPTAの会議と障害者の方の入浴介助の仕事と市P連(海老名市PTA連絡協議会?)の総会を往復し、「セッケンのにおいがする。」なんて言われながら地元町内会の会合にも出席しました。夜は我が家次男坊(小学3年)と二人でホルモン焼き屋のカウンターで飯を食い。
そしてG.W最終日となる今日は早朝から市子連(子ども会連絡協議会)の研修会のスタッフとして会場設営などの仕事をし、午後から東柏太鼓の鑑賞と手伝い、そして息子たちが所属するスポーツチームのバーベキューに顔を出し、終了後はスーツに着替えて行政書士会の総会、懇親会に出席をしてその後教育関係の団体の皆さんと意見交換会というか、つまり飲み会etc・・・・
これを政治活動と言うのはどうか?というご意見もありそうですが、私なりに皆さんとのコミュニケーションと自己の研鑽を兼ねてコツコツと活動しているつもりです。
ゴールデンウィークを満喫するなんていうのは・・・・私の人生にはないんだろうなぁ。
金曜日には日中みっちり働いて夜は青年会議所の神奈川ブロックの若いメンバーと地方分権について激論を交わし、土曜日にはPTAの会議と障害者の方の入浴介助の仕事と市P連(海老名市PTA連絡協議会?)の総会を往復し、「セッケンのにおいがする。」なんて言われながら地元町内会の会合にも出席しました。夜は我が家次男坊(小学3年)と二人でホルモン焼き屋のカウンターで飯を食い。
そしてG.W最終日となる今日は早朝から市子連(子ども会連絡協議会)の研修会のスタッフとして会場設営などの仕事をし、午後から東柏太鼓の鑑賞と手伝い、そして息子たちが所属するスポーツチームのバーベキューに顔を出し、終了後はスーツに着替えて行政書士会の総会、懇親会に出席をしてその後教育関係の団体の皆さんと意見交換会というか、つまり飲み会etc・・・・
これを政治活動と言うのはどうか?というご意見もありそうですが、私なりに皆さんとのコミュニケーションと自己の研鑽を兼ねてコツコツと活動しているつもりです。
ゴールデンウィークを満喫するなんていうのは・・・・私の人生にはないんだろうなぁ。
2005年05月05日
2005年05月04日
大量退職時代
新聞報道によれば、昨年の神奈川県内での教職員(学校の先生)の新規採用に対する応募者の倍率は3倍程度に低迷したとか・・・・前年の5倍以上という状況からするとかなりの落ち込みであり、「有能な人材を確保できるか?」と関係者も不安を抱いているそうだ。
そしてそこへ来て文部科学省は平成18年度より5年間をかけて全国の小学1,2年生の学級ごとの人数を40人から35人に減らす方針を打ち出した。つまり教室を増やさなければならないわけで、そのために新しく採用しなければならない教員は9,000人だそうだ。
太平洋戦争が終わった昭和20年から25年あたりの間に生まれた人たちのことを世では団塊(だんかい)の世代と呼んでいるが、この世代の人口がわが国ではイビツなほどに多い。そしてその昭和20年から60年が経過する今、その人たちの“大量(定年)退職時代”が到来する。海老名市や神奈川県などもその多数の退職者に対する退職金の支払いが財政を圧迫することになるであろうし、またその退職者の分を補う人材の確保については前出の通り質の低下が懸念されつつある。
高校を出ても大学を出ても就職先がない若者にとってはある意味での朗報かもしれないが、大量退職、超高齢化、人口減少などわが国が未曾有の変化に見舞われていることは明らかなる現実である。
選挙で「あれもやります。これも造ります。」と消費型の主張しかできない政治家を選んでいたら、この国が立ち行かなくなることは火を見るより明らかそんなことを想う、今日は国民の休日です。
(私は仕事の昼休みに日記を書いています。)
そしてそこへ来て文部科学省は平成18年度より5年間をかけて全国の小学1,2年生の学級ごとの人数を40人から35人に減らす方針を打ち出した。つまり教室を増やさなければならないわけで、そのために新しく採用しなければならない教員は9,000人だそうだ。
太平洋戦争が終わった昭和20年から25年あたりの間に生まれた人たちのことを世では団塊(だんかい)の世代と呼んでいるが、この世代の人口がわが国ではイビツなほどに多い。そしてその昭和20年から60年が経過する今、その人たちの“大量(定年)退職時代”が到来する。海老名市や神奈川県などもその多数の退職者に対する退職金の支払いが財政を圧迫することになるであろうし、またその退職者の分を補う人材の確保については前出の通り質の低下が懸念されつつある。
高校を出ても大学を出ても就職先がない若者にとってはある意味での朗報かもしれないが、大量退職、超高齢化、人口減少などわが国が未曾有の変化に見舞われていることは明らかなる現実である。
選挙で「あれもやります。これも造ります。」と消費型の主張しかできない政治家を選んでいたら、この国が立ち行かなくなることは火を見るより明らかそんなことを想う、今日は国民の休日です。
(私は仕事の昼休みに日記を書いています。)
2005年05月03日
憲法記念日に想う
あなたは憲法改正に賛成?それとも反対?この問いに確たる信念を抱いて答えを出せる人がどれほどの割合でいるだろうか?特に戦争や貧困、強制、義務、束縛といった社会(政府)による統制や干渉の実体験に乏しい若い世代の者にとってそれは判断の下しにくいテーマであるはず。
世代的には私も例外ではなくこのテーマの判断に迷いが無いわけではありませんが、憲法改正に関しての私(長田)の意見は「賛成」です。
これまでの日本国憲法は帝国主義時代への反省に立ち、国家による国民への不当な弾圧を防ぎ、必要以上に国民を縛るような法律を作らせないための縛りとしてセーフティガードの役割を果たしてきたと私は考えます。
しかし、時代の変化の中で日本国憲法制定時には想定していなかった環境権のような概念も憲法に盛り込む必要が生じてきております。また憲法もセーフティーガードの域を超えて日本の国民として固有の歴史や文化を尊重し、その精神文化や美しい国土を守り、世界の平和と繁栄に貢献し、内政においては地方主権を実現する。そういった目標を高らかに掲げて新たな国づくりに向かってゆけるような憲法を作れたら良いと思うし、何もかも出来上がってしまった閉塞の事態より“創造の時代”に私も生きていたいと思うから、私は憲法改正に賛成したいと思うのです。
皆さんのご意見はいかがでしょうか?軽々に答えをだす問題ではないでしょうし、私自身もはなから自分のスタンスを固定してしまう気もありませんので、大いに議論できたらいいな、と憲法記念日にあたり想うのです。
世代的には私も例外ではなくこのテーマの判断に迷いが無いわけではありませんが、憲法改正に関しての私(長田)の意見は「賛成」です。
これまでの日本国憲法は帝国主義時代への反省に立ち、国家による国民への不当な弾圧を防ぎ、必要以上に国民を縛るような法律を作らせないための縛りとしてセーフティガードの役割を果たしてきたと私は考えます。
しかし、時代の変化の中で日本国憲法制定時には想定していなかった環境権のような概念も憲法に盛り込む必要が生じてきております。また憲法もセーフティーガードの域を超えて日本の国民として固有の歴史や文化を尊重し、その精神文化や美しい国土を守り、世界の平和と繁栄に貢献し、内政においては地方主権を実現する。そういった目標を高らかに掲げて新たな国づくりに向かってゆけるような憲法を作れたら良いと思うし、何もかも出来上がってしまった閉塞の事態より“創造の時代”に私も生きていたいと思うから、私は憲法改正に賛成したいと思うのです。
皆さんのご意見はいかがでしょうか?軽々に答えをだす問題ではないでしょうし、私自身もはなから自分のスタンスを固定してしまう気もありませんので、大いに議論できたらいいな、と憲法記念日にあたり想うのです。
2005年05月02日
粗にして野だが、卑ではない
1963年に起きた旧国鉄横須賀線鶴見事故の際に国鉄総裁として事後処理にあたった石田禮助氏の言葉です。今回のJR福知山線の事故があったせいでしょうか、石田氏の姿勢を紹介した本(城山三郎著)を学生のころ読んだ記憶がよみがえります。
事故以後「無給」を願い出た石田総裁は国会において政治家を相手に「生来粗にして野だが卑ではないつもり・・・」つまり極めて粗野な性格の人間ではあるが卑しくは無い。と言って無給と同時に国鉄の安全確保のために国家予算の大幅な増額を国に迫ったといいます。
JR西日本の役員の皆さんも賞与の全額カットを決めたそうですが(あくまでも賞与のみ)、会社の赤字は解消します。電車も時間に遅れず運行します。そして安全にも万全を・・・というのはいかにも至難の業、安全確保のための設備投資や社員教育を徹底するならその分の財源をどのように確保するのか?どこかを充実させればその分どこかに負担が回ることも含めてしっかりと(国民)乗客に説明し、理解を得て欲しいもの。もちろん「卑ではない。」ことが大前提となるのだが。
事故以後「無給」を願い出た石田総裁は国会において政治家を相手に「生来粗にして野だが卑ではないつもり・・・」つまり極めて粗野な性格の人間ではあるが卑しくは無い。と言って無給と同時に国鉄の安全確保のために国家予算の大幅な増額を国に迫ったといいます。
JR西日本の役員の皆さんも賞与の全額カットを決めたそうですが(あくまでも賞与のみ)、会社の赤字は解消します。電車も時間に遅れず運行します。そして安全にも万全を・・・というのはいかにも至難の業、安全確保のための設備投資や社員教育を徹底するならその分の財源をどのように確保するのか?どこかを充実させればその分どこかに負担が回ることも含めてしっかりと(国民)乗客に説明し、理解を得て欲しいもの。もちろん「卑ではない。」ことが大前提となるのだが。