2006年09月14日

規範意識と信賞必罰

 昨日の相模線に続いて少しばかり前向きな話題を書こうと思えばまたしてもやってられなくなるような事件が起きてしまう。海老名市立小学校の教諭が児童買春とは・・・

 まったくどうしてこんな世の中になってしまったのかと頭を抱えたくなるのは私ばかりではあるまい。前日には市内の中学生が女性教諭の顔に頭突きをして逮捕された。さがみ野での飲酒運転ひき逃げ死亡事故もおきた。まったくワイドショーネタのような事件が身近なところで次々とおきてしまう、他人事ではないのだ。

 飲酒運転については厳罰化がいっそう進めらるようだ。このような時代になってくるとまずは即効性のある対策としての厳罰化がすすめられて行くのはある程度仕方がないと私は考えざるを得ない。しかし厳罰化を進めるだけでは問題の根本は解決しえないことはこれまただれもが感じていることだろう。政治が民を幸福に導こうとするなら北風となって吹き付けるよりも暖かな太陽となって包み込むことが何よりも大切であると思うから。しかし、その暖かな太陽もその内に身を焼くほどの熱さを湛えていなければ意味がない。今の世の中で言うならば「国家という意識」や「国民としての規範意識」というものだと私は考えている。戦後民主主義の中で醸成された自由と権利の意識はともすれば共同体を構成する国民の義務感覚を希薄にし、どうしようもないほど腑抜けたモラルハザードな状態を作ってしまった。犯罪を犯す者だけがダメになったのではなく、本質を言えばこの国の国民全体がおかしくなっているのだ、私もあなたも。

 殴りかかってくる生徒をどうすることもできない教育は異常なのだ。生徒と教師が平等、対等であるはずがない。
 事故を起こしてその場から逃げ去ることの卑怯は刑罰の重さで量れない恥じであることをみんなが互いに戒めあわなければいけない。一時の快楽(性欲)に目をくらませて人生を破滅させ、小さな生徒達の心理に生涯に渡る陰を落とすことの破廉恥さは万死に値することの意識を私達が日頃の生活感覚や道徳心、宗教心、倫理観などの中で醸成してゆく努力を改めて一歩目から始めなければいけないときに来ているのにちがいない。

 生徒が「なんで人を殺してはいけないんですか?」と問いかけてきたら答えられない先生も多いと言う。まさかそんなときにまで自由や権利を持ち出して説明しようと思っているわけでもあるまいが、いけないものはいけないのだ。それだけでいい。少女を犯してもいけないし、金でカラダを売ってもいけない。人間には生まれながらにしてやってはいけないことがあるし、そこに理由などありはしないということが自然に私達の気持ちの中で理解されているようでなければいけない。

 まったく・・怒りにまかせてまとまらない日記になってしまった。
posted by おさだ at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) |