昨日長野で行なわれた聖火リレー“大きな問題”は無かったというものの決して平和の祭典にふさわしい平穏なものではなかったことはテレビで見ても一目瞭然。そんんな中でランナーを務めた野口みずきさんが「政治が介入したことはとっても残念。」と語ったとか・・・私にしてみればその言葉の方がよっぽど残念。なんとなく言わんとしていることは理解できるのだけれどそれじゃまったく“政治”は悪みたい。そもそも政治が無ければオリンピックの開催も無いし、平和の実現も無いのでは。あえて言うなら「紛争が介入して残念。」ということでは・・・
一方決して混乱を是認するわけでは無いが、平和に慣れきっている日本人にとってこの出来事がある意味で刺激にるのではないか?という思いが私にはある。世界の現実は日本の平和ボケした常識とかけ離れたものであることについて、好ましいことではないがこんなときに認識が進めば・・・
特に中国については、驚異的な経済発展の一方で立ち遅れた民主化、拡大する貧富の格差、爆発的に膨らむ軍事力、領海侵犯、チベットに対する弾圧・・・・などなど世界の多くの人々(国々)が中国そのものに「口には出さない違和感」を感じていることが北京オリンピックを機会にこうして表面化しているのでは。長野の聖火リレーを見てて思ったのだが、そもそも日本にあんなに多くのチベット人がいるわけではないだろう、「フリーチベット」と叫んで長野に集まった人々の多くは日本人だったのでは?つまり、中国は聖火リレーを通じて世界の人々から批判にさらされる旅に出ているのでは。おそらく次の韓国でも同じような状態が続くであろうし、今はまだ聖火リレーというプレイベントだが、本番のオリンピックになったら・・と考えると実に恐ろしい。
老婆心ながら平和の祭典を機に中国の民主化が進むことを期待したい。