綾瀬から6期にわたって県議会議員(議長)を務めた小山田兵衛先生が亡くなられた。豪放磊落(ごうほうらいらく)を絵に描いたような性格。海老名にも信奉者は多い、私も「おぃ海老名の若ぇの」と言ってずいぶんとかわいがってもらったもの。
こんな逸話がある。
まだ県議会議員の選挙区が海老名と綾瀬が同一区であったころ、社家に住むある人が綾瀬の知人から小山田の支援を依頼されたそうだ。「俺は小山田って人を知らないから。」とやんわり辞退すると翌日いきなり玄関に現れた男がニコニコ笑いながら右手を挙げている。「よぉ、おめぇ俺のことを知らねえらしいから会いに来たぜ。」と言った時にはすでに靴を脱いで座敷に上がりこんでカラカラと笑っているのだそうだ。
「政治の話なんかこれまで一度もしたことは無いが、その性格にほれ込んで何十年も応援してきた。」とその人ははにかむように言っていた。
高度成長の日本の政治はこうした傑物によって支えられてきた。マスコミに翻弄され、政治信条もあいまい、地元のために!と大見得をきって知事になったような人が任期も半ばにして「国政にも・・」なんて・・・誘うほうもどうにかしているが、実にあきれた話である。小山田御大はこんな世相をどんな風に受け止めて旅立っていったのだろう。
おぼつかない足元。腕を支えようとする私に「年寄り扱いするな。」と一喝。マイクを握って聴衆に「この男はモノになる。」と私を紹介して下さった言葉を信じ、後塵を拝していきたいと思います。ご冥福をお祈りします。