2009年09月25日

マニフェストにも限界

 前略、こんな評論家みたいなことを書いても仕方がないし、県政の話題でも書きたいところなのだけれど、選挙の後遺症だろうか・・パソコンの前に座るとこんな内容が指先から湧き出てしまう。最近日記が長くなってしまうし、興味の無い方はどうぞ読まずに飛ばしてください。おさだ


 マフェストを提示しての選挙もすっかり定着して、以前の抽象的で守られない公約による選挙に比べてずいぶんと進歩したものだと感心している。

 しかし、このマニフェストにも限界があると、今回の総選挙を通じて感じている。
 二大政党の時代が到来し、国政の選挙は国民が甲か乙か、政権を選択する選挙ということになった。こうした中、各々の政党は「我々が政権を取ったらこういうことをします。」という政権公約、つまりマニフェストを発表するわけだが、その内容は福祉から環境から農業、産業経済、教育、外交、防衛・・・多岐にわたり何十何百もの項目に渡る。一個人としてその一つひとつの項目を見れば中には賛成できるものもあれば、できないものもあるのが普通であろう。しかし選択は甲か乙か、どちらかのマニフェストを選ばねばならないというのが現実だ。

 加えて小選挙区の制度では国民の10%も動けば今回のような極端な結果を生み、勝った方に絶対的な決定権を与えることになる。

 決して私はマニフェスト選挙を否定しているのではなく、選ばれた方の政党は勝ったからといって自分たちのマニフェストが全て賛同された!と思うのはいささか無理があるということ。今回の選挙で言えば国民は概ね民主党のマニフェストを選択した。しかし、実際政権の座に着いてみれば高速道路の無料化など国民の支持を得られない項目も出てくるはず。
 これは民主党が政権を取っても自民党が取っても同じことが言える問題で、言わばマニフェストにも限界がある。ということだろう。
 言論というのは難しいもの。きっと誤解をされるだろうからもう一度言うが私はマニフェストを否定するものではない。ただ、政権選択の選挙、あるいは市長選挙などの首長選挙でも同じことが言えるが、選ばれた側は勝ったからといってマニフェストという免罪符をもらったわけではないということを自覚しなければならず、個々の政策について一つ一つ民意を諮る必要があるということ。

 さて、あるまちで選挙のたびに公開討論会の企画運営に携わっている友達が酒の席でこぼした言葉がショックでした。彼は言います。「公開討論会なんて意味無いことが今回と前回の郵政選挙で分かったよ。」「討論会で候補者の主張の違いを有権者に分かってもらおうと努力したけれど、結局風だかなんだか分からない雰囲気にどっと流されて結果が出てしまう。」「討論会を見て有権者が判断してくれたという実感が持てない。俺たちの努力はなんだったんだ。」

 「決してそんなことは無いよ。今回の選挙は特別だ。地方の選挙なんかじゃホントに有効な取り組みだよ。」「これが絶対なんて方法は無いけれど、地道な努力を怠ってはいけないよ。」と私は説得を試みたが・・・彼の納得を得ることができた実感は無い。
posted by おさだ at 03:57| Comment(0) | TrackBack(3) | 政治