2020年09月26日

最近思うこと

 社会のデジタル化が進み、これをテコに中国が世界に覇権を唱えようとしている今、これから先の社会変革を考えようとすると「個人のプライバシーをどこまで守るか」ということが、国家運営の大切な課題になります。
 ご存じの通り、中国やロシアといった社会主義・統制型の国では、個人のプライバシーはあまり尊重されず、例えば街角の防犯カメラに映った映像の顔認証機能で、信号無視の歩行者やゴミのポイ捨てをする国民を取り締ったりすることが行われています。国民の銀行口座もだれがどこの銀行に口座を持ちいくらの貯金があるか政府が感知してして、例えばコロナ禍に関して、政府が国民に給付金を配ろうとするとき、それは即座に実行することができます。携帯電話の番号も通話記録も、政府がそれを知りうる体制をとっています。もちろんこんなことが私たち日本人や自由を尊重する米国や欧州の国民に受け入れられるはずがありません。しかし、中国はこうした情報の統制をすることによって、あれよと言う間に強大な近代国家を作り上げました。そして大事なことは、中国ではこうした個人情報の政府統制を国民が受け入れているということ。
 これから迎える、デジタルトランスフォーメーション(DX)社会の覇権を日米欧が握るか、中国に奪われるかによって、日本という国の優位性は大きく変わります。もちろん中国に奪われれば、我が国は極めて厳しい環境の中で、中国の脅威に怯えながら国家運営をすることになるでしょう。下手をすれば、我々日本国民のプライバシーを中国政府に奪われるといったことにもなりかねません。
 そうした中で、菅内閣がデジタル庁の新設に乗り出しています。
 情報を管理し、社会を良くするための技術については、我が国は大変高いものを有しており、かつ国の隅々までそうしたことを行き渡らせることができる国家体制を維持しています。政府もデジタル庁の創設を機に、新しい時代に向けて相応の体制を構築してくれることでしょう。でも、大事なことはそうした際に国民のプライバシーをどこまで尊重するかが問われるということです。DX時代に、他国との競争に勝ち、国として強く、豊かであろうとすれば、国民のプライバシーはある程度政府に対して開放して頂きながら行政施策を進めて行かなければなりません。もちろんセキュリティーが確保されていることが大前提ですが。
 私たちが政治というものをマクロ的に見る時、いつまでも保守とか革新とか、資本主義だ社会主義だと古ぼけた教義で政治を色分けしていないで、国民のプライバシーを強く守ろうとする政治勢力と、デジタル社会の構築のために、最低限度において国民にプイバシーの開放を求める政治勢力とに分けて、国民に折々の判断を求めるような政治のありようが必要なのではないでしょうか。

posted by おさだ at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感