どのくらい前からだろう・・私の庭にいつの間にか根を下ろした柿の木。そのうち実を成らす日も来るかと放っておいたのですが、今や幹が茶筒ほどの太さとなり、今年は20個ほどの実を成らせました。赤く染まった実はさぞかし甘かろうと、早速かじってみたらこれが渋柿(涙)。それならと皮をむいて干し柿にチャレンジ。

今年は冷え込みが早いのできっとおいしく干しあがることでしょう。
さて、昨日は海老名市が主催したヤングケアラーに関する研修会に参加して来ました。核家族化と高齢化を背景に社会問題の一つとして取り上げられるようになったヤングケアラー。病気の親や障害のある兄弟、祖父母の介護など家族などのケアをする子どもがその影響で部活動ができなくなるとか、友達と交流できない、宿題をする間も無く寝不足で勉強ができない・・・など、本人が望む生活ができなくなっている状態をヤングケアラーと呼んで、社会的なサポートを模索する動きが始まっています。
私も1年ほど前からこの問題に着目し、県の立場から何かできることは無いか?と政策課題にして来ました。
昨日は自らがヤクグケアラーだった当事者の話を聞く事ができて、何と言いましょうか目からウロコが落ちる℃vいがしました。

以下当事者の言葉を要約。
「私自身、中学生の時から十数年間、難病の母を支えて生きて来て、大学の進学もをあきらめたこともあるし、仕事を辞めなければならないこともありました。しかし、昨年母が亡くなって思うのは母の介護をすることができた自分は決して不幸ではなく、むしろ幸せだったということ。父が働いていたので経済的には母を施設に入所させることもできたと思う。でもそれを私自身が望まなかったし、それをしていたらきっと自分は後悔していた。ヤングケアラーにとっての支援の方法というのは他者が決めることはできないと思います。ヤングケアラーは可哀そうだから行政が乗り込んで行って助け出してやろう、といったことは望んでいません。その本人がどうしたいか?その希望を本人自身が見つけることが大事。そのために相談したり、頼ったりする糸≠ェ本人のまわりにたくさん垂れているのが望ましい。その糸というのは例えば学校の先生であったり、ヘルパーさんであったり、役所であったり、医師であったり。当事者がどの糸を引っ張ってもその糸が上で繋がっていてくれること。そういう支援の在り方が望ましいと思います」
ヤングケアラーは問題だ、何とかしなければ、ヤングケアラーを見つけ出して助けてあげるためには学校の相談体制を作って、実態を把握して、ケアを受けている側の家族が速やかに入院したり、施設に入所したり、居宅へのヘルパーを充分に派遣できるようにしてあげよう・・・と、私などは行政の施策の充実を考えてしまいがちですが、どうやらそういうことでは無いということが少し分かって来ました。