2017年07月27日

過剰報道

 目を閉じるなか、周囲から無数のシャッター音とフラッシュ。この状況で心静かに祈りを捧げられる人がいるだろうか。
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 昨日は津久井やまゆり園事件から一年。私は議員の仲間と連れだって現地へ向かい、鎮魂の祈りをささげてまいりました。
 当惑とはこのことにほかなりません。献花台をぐるりと取り囲む報道陣。およそ30名、ビデオカメラ、スチールカメラ合わせて約20台。

 この事件では、被害者の名前を公表しないということが、一つの課題となり、マスコミはこのことを強く長く批判し続けて参りました。私は、当事者が障害者であることも踏まえると、公表しないことがむしろ差別的な扱いだ、というように受け止められる向きもあるのではないかと、これは賛否両面の議論が必要だと考えて来ました。
 しかし、これを体験したら、遺族の多くが名前を公表しないで欲しいと思うのは当然だな、と思います。つまり、こうした事件において名前の公表を避けるその大きな一因を作っているのが、マスコミ自身の過剰な取材や過剰な報道自体にあるんだと、つくづく感じた次第であります。

 ただ、私のような者が現地でそういうことを口にすれば、沈痛の中にこの日を迎え、けなげにも来訪者の応対をしている現地スタッフを混乱させてしまうと思い、何も言わずに立ち去ることにしました。誰よりも彼らが一番そのことを感じているのでしょうから。

※掲出した写真は、そうして撮られたものの一枚です。
posted by おさだ at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感
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