2006年08月15日

今年の靖国

 今年は中学二年生の長男をつれて靖国神社に行って参りました。スポーツをやっているとき以外は祖父母の家に逃げ込んでゲーム三昧の夏休みを送っている子どもたち。勉強しろ、なんて言ってきくわけがない。しかし、今回の参拝を誘ってみたら「靖国かぁ。」と言って息子はムクッと身体を持ち上げたのでした。

 彼がこのこと(靖国問題)をどう考えるかは彼自身がこれから考えること。良いにせよ悪いにせよ行って自分で見て感じてみることが大切ですから。行ってみれば彼もそれなりに感心を持ったようですし、帰りの電車でも感想を話題にすることはしませんでした。
 私も和光大学で学生運動のデモ行進を見て政治に興味をもち始めたのが中二のときでしたから。

 ただただ最近の靖国についておしむらくは、本来戦火に命を落とした戦没者のことを思い、静かに額づいて鎮魂の祈りを捧げるべき聖地が、政治的なイベント会場のようになってしまったこと。

 首相が参拝したとかしないとか、もうそろそろそのネタがマスコミの飯のタネにならないような状況になって欲しいなぁ・・・
 前宮司も言われるように本来靖国神社にとって日本が白旗をあげた8月15日に特別な意味は無い。はずだから。


以下はややこしい話かも知れませんので忙しい方は飛ばしてください。

 靖国神社への首相参拝について考えるとき、基本的な認識について以下の論点に分けて考察する必要があると思います。

@日本が太平洋(大東亜)戦争に突入した経緯をどう受け止めるか。
A日本がアジアの近隣諸国に対して行った戦闘行為をどう受け止めるか。
B敗戦後の極東軍事裁判(東京裁判)をどう受け止めるか。
C極東軍事裁判を受け入れることでサンフランシスコ条約を締結し、日本が国際社会に復帰したことをどう受け止めるか。
D日中国交回復の際に取り交わした日中共同宣言をどう受け止めるか。

 この論点に分けたとき、これまでわが国が国家として国際社会に示してきた態度を踏まえれば日本の首相がどの一つを取っても否定することは出来ない立場にあることは仕方がありません。
 国民個人が東京裁判を否定するのは結構なこと。私も否定しています。ただ、それを受け入れて国際社会に復帰した経緯を持つ日本という国家の代表が今になってそれを否定することはできない。

 思想信条に関する個人の自由だと言っても首相という身分をその時だけ脱ぎ捨てるわけにもいくまい。それが国際社会やこれまでの歴史認識に多大な影響を与える現実がある以上、在任中くらいは参拝を自粛するくらいの自重も必要だと私は考えます。つまり公私の別は必要ということ。

 有言実行を貫いた小泉総理が多数の国民の関心を得たものの、その実靖国参拝を政治的なパフォーマンスの具にしてしまった印象が私にはあり・・・戦後の日本に二人といない改革を実行した誉れ高い宰相だけに・・喧騒極まる靖国の宮を見上げるにつけ、私にはそれが至極残念。
posted by おさだ at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) |
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