今日、書棚を整理しながらそういった本の一冊を手にしたとき、赤く焼けたページの一部にボールペンで傍線が引かれているのに気付いた。竜馬がゆくに続いて私が高校生のときに読んだ「坂の上の雲・司馬遼太郎」の第二巻だった。
明治維新から日露戦争へと突き進んでいった日本の姿を海軍少尉作戦参謀として東郷艦隊を率い、幻のT字作戦でロシアのバルチック艦隊を殲滅せしめた秋山真之や同郷の正岡子規らと共にえがいた全8巻の長編である。
30ページのくだりにこうある。
「西洋が隆興したそのエネルギー源はなにか、という点では、日本の国権論者はそれが帝国主義と殖民地にあるとみた。民権論者は自由と民権にあるとみた。」とある。
当時高校生だった私がなにを思ってこのくだりに傍線を引いたか、20年以上も経った今となっては思い出せないが、必死に何かを掴もうとしていた若い頃の自分がいとおしくも思える左利きの直線がそこにある。
おさだ進治40才。いまだ坂の上の雲は高いところにあって仰ぎ見るばかりである。
8月ともなれば決戦の日まであと8ヶ月。「本日天気晴朗なれど波高し・・・」選挙に幻の作戦などありはしないが、秋山のような作戦参謀が欲しい。なんて思ったりもする盛夏である。