今日は雑談です。たぶん・・つまらない話なので飛ばして下さい。
私は数学が大嫌いで、中学2年のときから授業はひたすら“お客様”
しかし、最近この数学というキーワードが自分がしようとしている政治考察と妙に符合して・・・・気になります。
少し前に「博士の愛した数式」という映画がヒットしました。寺尾聡が演ずる記憶が持続しない博士は数学がいかに美しく人間的な学問か、ということを私のような数学嫌いのシロウトにも感じさせてくれました。
国家の品格という本で日本人のアイデンティティーを刺激して一躍注目の的となっている藤原正彦氏は著名な数学博士で「美しい風土や情緒が天才を生む。」と論じています。
売れっ子の直木賞作家である東野圭吾氏は文系人間ではなく大学の理工学部を出た理系の人。小説を書くという作業は導き出す答えを設定し、仮説を立ててその答えに至るまでの数式を“簡潔で明瞭に美しく”組み立てていく作業に似ているような気がします。
ひるがえって今日のわが国。目指すべく回答(未来)が見えず、打ち立てるべき仮説も成り立たないで迷走しているようにも見えます。社会を組み上げる数式も複雑に乱れ美しいどころか基本的な係数を誤ったまま無駄な数式を積み上げているだけのような状態ではあるまいか?
国家のリーダーが、あるいは津々浦々の政治家が目指すべき未来像を明示して、そこに行き着くまでの道筋を立てる。その姿がよりシンプルで分かりやすくあるべきであることは言うまでもない。
政治家にも数学的な考察力が求められているような気がしてならないのだ。
2006年05月26日
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