2017年07月12日

それでは今日も

 暑い日が続きますね。今朝も夏の青空を見上げながら、九州の人たちは・・と、なんだか自分ばかりが晴れ間の中にいるようで申し訳なく思ってしまったり。

 県議会の自民党は早くも来年度予算の編成に向けて基礎の積み上げ作業に入っています。
 女房の作った朝飯を食って電車に乗り、議会で作業をして弁当を食い、来客、相談、会議、打ち合わせ・・夕方になると「残業はせずに帰宅しましょう」という職員向けの庁内放送に急き立てられるように県庁を出て、会合、懇親会、あるいはお通夜へと向かい、一日が終わる。定例議会が終わった今はだいたいそんな感じの毎日です。

 それにしても、ごく一部の議員が、政務活動費を不正に使ったとか、覚せい剤を所持していて逮捕されたとか・・そんな人のおかげで他の議員まで同じようなイメージを持たれたりするのが、実につらいことだと思います。

 それでは今日も行って来ます。



 
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2017年07月11日

感情

 女性消防団員の頑張りに会場全体が一つになった。そんな素晴らしい大会になりました。
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 一昨日は、海老名市消防操法大会。市内でただ一人の女性消防団員が4分団の選手(1番員)として出場したのには驚きました。小さな体で大きな声を出し、重たいホースを持って懸命に走って、走って、・・・「あっ!」と思った瞬間、足がもつれてしまったのか、おもいっきり転んでホースを投げ出してしまいました。

 競技を見守っていた会場の人々から「がんばれ!」の声が湧き上がり、居合わせた人たちの心が一つになった、そんな実感がありました。

 その後も懸命に競技を続け、筒先にかかる水圧にも耐えて最後まで走り切った彼女に会場から大きな拍手が送られました。

 でも、出場した選手はみんな懸命にやったのだし、女性だからといって特別に注目したり声援を送ったりするのは「男女平等」ではなく、ジェンダーとか言われちゃうのかな・・でも、人の心の中から自然に湧き上がる感情というものは、理想やスローガンとは別物ですから。よくがんばってくれたと本当に思います。

 さて、その「心の中から自然に湧き上がるもの」にしっかりと向き合って欲しいのが、安倍政権。2か月で25%の支持率低下には総理自身「なぜここまで?」という思いもあるかもしれません。加計学園の問題とか、閣僚の失言があったにせよ、それは一国の政権にここまでのダメージ与えるはどのことか?と思っているのかもしれません。でも理屈ではないんでしょうね。それが国民の感情なのでしょうし、それと向き合ってリードして行くのが政治なのでしょうから、ここはしっかりと受け止めて説明責任を果たし、再び支持率をあげられるようにして欲しいと思っています。
 なにしろこの国の経済とこの国の国民の生活が政権にかかっているのだし、万が一政権が持ちこたえられないようなことになったら・・・代わりにこの国を担える人やグループがいるかと言えば、私には思いつかないので。
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2017年07月09日

消防団

 九州北部での豪雨災害はいまだに救助活動が続いています。あまりにも悲しい状況が次々と知らされていますが、中でも辛いのは、大分県日田市で住民の避難誘導中に消防団員の方ががけ崩れに巻き込まれて亡くなってしまったこと。43歳で3人の子供がいて、来週まちで行なわれる祭に子供と参加したいと話していたという、責任感の強い人だったそうです。
 思えば東日本大震災の際にも出動中の198人の消防団員が亡くなっています(含・行方不明)。
 激甚な災害や火災の現場で「助けなければ!」と救助の任務に当たるとき、人は恐怖心というものを忘れてしまうのかもしれません。

 今日は海老名市消防操法大会。消防団員の皆さんの活躍と安全を祈りながら観戦したいと思います。

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2017年07月08日

老鶯(ろうおう)

 自宅の裏山で老鶯が一羽、慣れた鳴き声をあげています。
 梅雨のあい間の陽射しを受けて、庭の雑草が憂鬱になるほどほきています。
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 もうすっかり夏ですね。
 この週末も精力的に・・働かねば。今日はカラテの大会でスピーチすることから一日が始まります。
 体調管理に気を付けて、いよいよやって来る夏をのり越えましょう。

※老鶯・・夏になっても鳴いているウグイス。
※ほきる・・関東地方の方言。植物などが成長する様子。
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2017年07月06日

防災は自助、共助、公助

 九州方面の豪雨は大変なことになっているようですね。傷ついた家屋や街並みは修復できますが、失われた命はもどりませんから、なによりも命を守る行動をとって欲しいものです。
 テレビの映像で、消防団の人たちが市民の避難誘導を行なっている様子を見ました。実は、うちの倅(せがれ)も今年から消防団に入り、今週末には市内14の消防分団が消火の技術を競う「消防操法大会」が行われますので、連日訓練に出かけ、泥だらけになって帰って来ます。ですから女房はその制服を洗い、私は彼の半長靴を磨いておきます。靴を磨いておくことが、怪我を防ぐ第一歩と、昔自衛官の方から聞いたことがあるので。

 午前8時。わが家の庭に夏の陽射しが強く射し込んで来ました。つかの間の梅雨の晴れ間ということでしょうか。今日は6月議会の最終日、これから登庁して採決に臨みます。

 では。


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2017年07月05日

産業技術センターが生まれ変わります

 県議会は常任委員会の審議が終わり、6月定例会の閉会に向かって進んでいます。今日は議会運営委員会が開催されて最終日の採決に向けて様々な調整が図られます。
 この定例会、私は代表質問の大役を頂き、およそ一ヶ月の準備を経て質疑に立たせて頂きましたが、先日のテレビ中継には多くの方から「見たよ」と声をかけて頂き良い反響が頂けたな・・と実感しています。特に気管切開を行なったり、経管によって栄養を摂取するなど医療的ケアを受けながら学校に通う子供たちの問題を取り上げた点については、当事者や関係のある多くの方たちから「ありがとう」と言って頂き、また教育長から積極的な答弁も頂けましたので、「議員として」一つの役割を果たせたかな、と実感しています。それに何より、今回質問を練り上げる過程で多くの職員さんと討議をしましたが、その職員さんの中に幾人かグッと来るような真剣な眼差しを見ることができたこと。これが嬉しいことでした。

 さて、海老名の下今泉にある県の産業技術センターが生まれ変わりました。おなじく県立の(公財)かながわ化学技術アカデミー(溝の口)と組織を統合して「地方独立行政法人 神奈川立産業技術総合研究所」愛称「KISTEC」となりました。・・・つまり、研究開発や特許取得などの基礎的な分野と、製品化、実用化、量産化などの分野を統合して、優良な技術や発明を埋もれさせずに世に出して行こう、という新たな組織体制ができた・・・ということです。
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 それよりむしろ、地元海老名の皆さんにとってはこの施設が法人化されたことによって、会議室やホールなどの施設が貸し出し可能になることの方が嬉しいことかもしれません。「まだ行ったことがない」という地元市民の方も多い、「近くて遠い施設」だったこの旧産業技術センターを、今後は地元に皆さんにより身近に感じ、そして使ってもらえるようにしていきたいと思っています。

 それでは議会へ行って来ます!

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2017年07月03日

参りました

 破竹の29連勝を続けていた将棋の藤井四段がついに負けてしまいましたね。まぁしかし、負けたとはいえ立派な成績ですし中学三年生ですから、これからの活躍が楽しみです。そして国民の注目が集まる対局で、藤井四段に勝った佐々木勇気五段という方もなかなか目力の強い魅力的な人ですね。ジュネーブの生まれとか。
 星飛雄馬に花形満というライバルがいたように・・(例えが古いか)、陸上100mには桐生、ケンブリッジ、サニブラウン、山県、多田・・・(今度は多すぎる?)のライバル争いがあってお互いに成長するように、藤井さんも佐々木さんも切磋琢磨して強くなって欲しいものですね。

 さて、東京都議選は予想をはるかに超える規模で自民党が大敗を喫しました。私の学生時代からの親友も議席を失いました。私などは過去に落選というつらい経験もありますし、こんな選挙を見ていると明日は我が身と思えて速報番組もまともに見ることができない心境です。
 この結果を受けて自民党の党本部は相応の責任を取らなければならないと思います。何度も書きましたが、「地方議会の選挙です」と距離を置いておけば良いものを、ムキになってしまったのだし・・それに加計学園問題を始め国会議員の不祥事も影響したのでしょうから、ここはきっちりとしたケジメが必要だと思います。
 そこで、自民党がなにを一番考えなければいけないかと言えば、都民ファの小池さんは一年前まで自民党にいた人だということだと思います。過去を思い起こせば新自由クラブ、日本新党、新進党、民主党、みんなの党・・・自民党を脅かす政党を作ったのは自民党から出て行った人たちばかりだ、という事実です。

 つまり足もとを見つめ直せということですね。

 将棋は負けた側がみずから「参りました」と言って対局が終わります。スポーツなどの勝負とはそこが大きな違い。政治の世界にもこれには学びがあるような気がします。負けた側がみずからそれを認めることで一つの区切りとする。そして将棋には勝敗が決した後に感想戦というのがあるそうじゃないですか。もし、選挙にも感想戦があるならば、小池さん一人に負けた自民党は、すなおに小池さんに教えを乞うくらいの度量を持ちたいもの。私もオリンピックのことでは神奈川としてずいぶんと迷惑な思いをしたので、小池さんのことを批判しましたが、これからは口を慎まなければなりません。

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2017年07月02日

21世紀に生きる君たちへ

 横浜そごう美術館で行われている司馬遼太郎展を見て来ました。
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 私も多くの作品を読みましたし、その膨大で輝かしい作品の数々については今さら私が紹介するまでもないことだと思います。
 そこで、司馬氏が生前に子供たちのために書き残した「21世紀に生きる君たちへ」と題した一文を紹介させて頂きます。司馬氏いわく「一遍の小説を書き上げるよりよほど難しかった」とのこと。小学校の教科書にも掲載されましたし、とても示唆に富んだ素晴らしい内容ですので、少し長くなりますが、是非読んでみて下さい。

〜 21世紀に生きる君たちへ 〜

私は歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とはなんでしょう、と聞かれる時、
「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世で求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは−−もし君たちさえそう望むなら−−おすそ分けしてあげたいほどである。
ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。
君たちは、ちがう。
二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。
もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ、残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。
昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は−−くり返すようだが−−自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
−−人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。
同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。
「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
−−自分にきびしく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。
鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。
以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

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2017年07月01日

命脈

 ときどき公園の植え込みなどで見かけるこの花の名前をご存じでしょうか。
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 ランタナと言うそうです。
 紫陽花の季節に、紫陽花と同じような場所で見かけるので、見た目にも同類の花かと思っていましたが、全くの別種だそうです。花言葉は「心変わり」とか・・。
 悪夢の民主党政権の時代を乗り越え、ようやく我が国の再生が軌道に乗ったかというこのとき、加計学園やら女性代議士の暴言やら、国家の大系とかけ離れた問題で、政府の足元が揺れるのは実に良くない事だと感じる今日この頃です。

 明日は東京都議選の投票日。その結果が非常に気になります。なんとかこれを乗り越えて、そしてその先の内閣改造へうまくつないで、政権の命脈を断ち切らぬこと。安倍後が見通せない限り、私はそれを願うよりないように思っています。

 
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2017年06月30日

晴耕雨読

「今、どんな本を読んでいますか」
 今年社会人になった若者に聞いてみました。答えは「・・・いや、あの、とくには・・」
 ま、それはそうかも知れません、社会人になったばかりでは仕事を覚えるのに精いっぱいでしょうし、社会環境の変化や人間関係の変化に疲れて、本など読む余裕も無いのでしょう。

 私は今、司馬遼太郎を読んでいます。明治の日本が近代国家を作り上げ、そして世界を相手に戦争に突き進んでいく過程を描いた長編「翔ぶが如く」です。ところがこれが、他の司馬作品と違って説明やら背景やらが非常に多くて、読み進むのに大変苦労する作品。ほぼ「ほふく前進」の状態で、それでも完読目指して前に進んでいます。梅雨時の今は、少しひんやりとする窓際で葉を濡らす雨音に耳を傾けながらページをめくるのがいいですね。

 今朝の一句
 ねむり落つ 晴耕雨読の 昼下がり

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