道端に咲く紫色の花を踏みそうになって足を止めます。
こんな可憐な花に、オオイヌノフグリなんて下世話な名前を付けのは誰なのか。
食育なんて言葉が普通に使われるようになったのはいつの頃からでしょうか。
子どもたちに日本の食文化である米を食べさせようと小中学校での米飯給食が推奨されて来ました。ところがこの米飯を供給する業界から昨今の価格高騰で「米の確保が難しくなっている」というご意見を頂きました。「買い負けてしまう」という言葉も聞かれましたが、学校給食ですからおそらく大量の米を買い付けるのでしょう。その際にもっと高い値段で買い付ける他業種との競合があるようです。スーパーマーケットなら仕入れができず棚が空になることもありますが、学校給食では「今日はありません」なんていうわけにはいきません。
県議会は今日、今年初めの会議を開いて新年度予算の審議に向かって行きます。今ご紹介したような問題も県の立場でなにがしかの手を打って行かなければならない問題だな・・そんなことを思いながら、開発の波に飲み込まれて姿を消す田んぼのあぜ道を海老名駅に向かって歩きます。
一つ一つ、湧き上がる問題に向き合っていく。
2025年01月10日
2025年01月09日
明るく元気に
2025年01月08日
くさい
「照れくさい」「しゃらくさい」「しんきくさい」「めんどくさい」「〇〇くさい」
男ってこの「くさい」という言葉の付く感情をうまくコントロールできない生き物のように思えてなりません。
小さな子どもがママに言われて一生懸命に買い物に行く番組がありますが、観ていると泣けますよねぇ、アカデミー賞俳優よりもよっぽと見る人の胸をうつ・・。でもそれを家族で観ていると涙を浮かべる自分が照れくさくて、一生懸命に仏頂面。
話は変わりますが、正月に届く年賀状の数がめっきり少なくなりました。普段ご無沙汰をしてしまっている人に、正月や暑中の折りを見つけて途切れぬ気持ちをしたためる。そんな日本の良き慣習も薄れゆくのかと寂しい気持ちになります。もっとも私の場合、自分が出してもいないくせによく言いますが(公選法が政治家による賀状の送付を原則禁じています)。
ところで、どうして年賀状が送られなくなったのか?と考えるに、私はプリンターの普及が原因にあると思います。インターネットではなくプリンター。思い起こせば昭和のころ、年賀状と言えば慣れない筆や硯を持ち出して「賀正」なんて大書きしてみたり、それでなくとも筆ペンなるものを買って来て宛名を書いたもの。中には木版画を掘ってみたり、新年に向けた抱負を書き初めてみたり。一枚一枚のはがきに個性があり、思いがこもっていて、出す方も受け取る方も重みがありました。ところがいつしか写真屋さんにまとめて印刷を注文したり、やがて家庭に普及したワープロとプリンターが宛名も書面もまとめて印刷するようになると、こう言ってはなんですが、賀状一枚から受ける感動が薄れ、一方で企業の宣伝を兼ねた賀状が増えるようになりました。
そして結局、衰退の道をたどるように・・。そういうことではないですかね。
こんなときだからこそ、昔に戻って小筆の一つも持って下手でもいいから思いをしたためたら、逆に効果的なコミュニケーションツールになると頭では分かるのですが・・めんどくさい(泣)。
男ってこの「くさい」という言葉の付く感情をうまくコントロールできない生き物のように思えてなりません。
小さな子どもがママに言われて一生懸命に買い物に行く番組がありますが、観ていると泣けますよねぇ、アカデミー賞俳優よりもよっぽと見る人の胸をうつ・・。でもそれを家族で観ていると涙を浮かべる自分が照れくさくて、一生懸命に仏頂面。
話は変わりますが、正月に届く年賀状の数がめっきり少なくなりました。普段ご無沙汰をしてしまっている人に、正月や暑中の折りを見つけて途切れぬ気持ちをしたためる。そんな日本の良き慣習も薄れゆくのかと寂しい気持ちになります。もっとも私の場合、自分が出してもいないくせによく言いますが(公選法が政治家による賀状の送付を原則禁じています)。
ところで、どうして年賀状が送られなくなったのか?と考えるに、私はプリンターの普及が原因にあると思います。インターネットではなくプリンター。思い起こせば昭和のころ、年賀状と言えば慣れない筆や硯を持ち出して「賀正」なんて大書きしてみたり、それでなくとも筆ペンなるものを買って来て宛名を書いたもの。中には木版画を掘ってみたり、新年に向けた抱負を書き初めてみたり。一枚一枚のはがきに個性があり、思いがこもっていて、出す方も受け取る方も重みがありました。ところがいつしか写真屋さんにまとめて印刷を注文したり、やがて家庭に普及したワープロとプリンターが宛名も書面もまとめて印刷するようになると、こう言ってはなんですが、賀状一枚から受ける感動が薄れ、一方で企業の宣伝を兼ねた賀状が増えるようになりました。
そして結局、衰退の道をたどるように・・。そういうことではないですかね。
こんなときだからこそ、昔に戻って小筆の一つも持って下手でもいいから思いをしたためたら、逆に効果的なコミュニケーションツールになると頭では分かるのですが・・めんどくさい(泣)。
2025年01月07日
折り合い
正月の風物詩と言えば箱根駅伝。今年も青学が強さを発揮して優勝しましたが、アンカーを迎えたゴール地点で今年は前例に無い出来事がありました。それは原監督の奥さんであり、選手の寮母である美穂さんが選手から胴上げされていたこと。原監督自身「あの場に妻を入れたことは無かった」と言い、美穂さんは「私たちもそろそろ後進に道を譲らなければいけないと話し合っている」と。
もしかすると青学の原監督はこの連覇を機に勇退ということを考えているのかも知れません。
一方、私の地元神奈川16区では、昨秋の総選挙に敗れた義家ひろゆきさんが政界から引退すると昨日表明しました。負けての引退はさぞかし無念であろうと心中おもんぱかるものがあります。そもそも彼の場合、自ら政治家になろうとしたわけではなく、教員としての姿がマスコミに取り上げられ、それが政治の目にとまり、教育行政に引き込まれ、やがて安倍元総理によって政界へといざなわれた半生。その結果多くの政策的成果をあげることができましたが、政治的には派閥ぐるみでの政治資金の不記載問題という、事情を聞けば彼自身何一つ悪気もない言わば政界の慣習に足を引かれて選挙に負けることになりました。
生まれて間もなく両親が離婚。そこから始まった彼の人生は、人の愛情にすがろうとする彼を政治の荒波が巻き込み、時には空に舞い上げ、時には水底に引き込み、気が付けばここにたどり着いていた。そんな感じではないでしょうか。
しかしその中で彼が成し遂げた成果は、彼と同様に世間に翻弄され、もがき苦しむ多くの子どもたちの灯となり、また地元選挙区のまちづくりに大きな貢献をしました。
ですから、何一つ恥じることは無い。彼には今度こそ自分が選んだ次のステージへ胸を張って進んでもらいたいと私は思います。
多くの男は野心を胸に抱くもの。しかし、その野心を満たして身を引ける者はごくわずか。青学の原監督はそのわずかな者の一人になろうとしているのではないでしょうか。でも、それ以外の多くの者は、果たせなかった思いを胸に、自分の中で折り合いをつけながら晩節を過ごすもの。なんじゃないですかね。
もしかすると青学の原監督はこの連覇を機に勇退ということを考えているのかも知れません。
一方、私の地元神奈川16区では、昨秋の総選挙に敗れた義家ひろゆきさんが政界から引退すると昨日表明しました。負けての引退はさぞかし無念であろうと心中おもんぱかるものがあります。そもそも彼の場合、自ら政治家になろうとしたわけではなく、教員としての姿がマスコミに取り上げられ、それが政治の目にとまり、教育行政に引き込まれ、やがて安倍元総理によって政界へといざなわれた半生。その結果多くの政策的成果をあげることができましたが、政治的には派閥ぐるみでの政治資金の不記載問題という、事情を聞けば彼自身何一つ悪気もない言わば政界の慣習に足を引かれて選挙に負けることになりました。
生まれて間もなく両親が離婚。そこから始まった彼の人生は、人の愛情にすがろうとする彼を政治の荒波が巻き込み、時には空に舞い上げ、時には水底に引き込み、気が付けばここにたどり着いていた。そんな感じではないでしょうか。
しかしその中で彼が成し遂げた成果は、彼と同様に世間に翻弄され、もがき苦しむ多くの子どもたちの灯となり、また地元選挙区のまちづくりに大きな貢献をしました。
ですから、何一つ恥じることは無い。彼には今度こそ自分が選んだ次のステージへ胸を張って進んでもらいたいと私は思います。
多くの男は野心を胸に抱くもの。しかし、その野心を満たして身を引ける者はごくわずか。青学の原監督はそのわずかな者の一人になろうとしているのではないでしょうか。でも、それ以外の多くの者は、果たせなかった思いを胸に、自分の中で折り合いをつけながら晩節を過ごすもの。なんじゃないですかね。
2025年01月05日
前向きに
お正月はいかがでしたか?
今日まで休暇という方もいれば、年末年始休まず働いて頂いていた方もおいでかと思います。どちらの方も健やかな新年であって頂きたいものです。
と言うのも、海老名では年末にあまりにもショッキングな事件が起きてしまったので。これから新学期が始まりますが、子どもたちを受け入れる学校もいろいろと大変だろうなと心配しております。
事件は事件として向き合っていかなければなりませんが、気持ちは明るく前向きでなければいけません。
今年還暦を迎えるにあたって一つ自分の中で決めたのは「後ろ向きな言葉は言わない」。ちゃんと実践しようと思っています。
今日まで休暇という方もいれば、年末年始休まず働いて頂いていた方もおいでかと思います。どちらの方も健やかな新年であって頂きたいものです。
と言うのも、海老名では年末にあまりにもショッキングな事件が起きてしまったので。これから新学期が始まりますが、子どもたちを受け入れる学校もいろいろと大変だろうなと心配しております。
事件は事件として向き合っていかなければなりませんが、気持ちは明るく前向きでなければいけません。
今年還暦を迎えるにあたって一つ自分の中で決めたのは「後ろ向きな言葉は言わない」。ちゃんと実践しようと思っています。
2025年01月01日
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
輝かしい新春を迎え、新たなこの一年に新たな希望を膨らませる、そんな思いで新年を迎えております。
私も今年は60歳、還暦を迎えます。
これまでのように「出世」とか「成功」といった野心的なイメージの人生観から脱して、気楽に、楽しく、(ブログは短く・笑)周囲の人たちを明るくさせられるような生き方をして行けたら良いなと、青く晴れ渡った元旦の空を見上げながら思っています。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
令和7年 元旦 長田進治
輝かしい新春を迎え、新たなこの一年に新たな希望を膨らませる、そんな思いで新年を迎えております。
私も今年は60歳、還暦を迎えます。
これまでのように「出世」とか「成功」といった野心的なイメージの人生観から脱して、気楽に、楽しく、(ブログは短く・笑)周囲の人たちを明るくさせられるような生き方をして行けたら良いなと、青く晴れ渡った元旦の空を見上げながら思っています。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
令和7年 元旦 長田進治
2024年12月29日
良いお年を
年の瀬ですね。
今日からお休みを頂きます。
あぁ、せっかくの休みだ、何かして楽しまなくちゃ・・何しよう?え?何もない・・いやいや何かして充実した休日を楽しまなくては・・・・と、焦るばかりで結局何もないまま過ぎてしまうのですが(汗)
どうぞ良いお年をお迎えください。
追伸・・「良いお年を・・」のあとに「おとりください」って言ってしまうときがあるんだよなぁ・・年とれって言っちゃ失礼だから気を付けなきゃなぁ・・
ああ・・とりあえず今日何しよう・・ブログも書いちゃったし。
今日からお休みを頂きます。
あぁ、せっかくの休みだ、何かして楽しまなくちゃ・・何しよう?え?何もない・・いやいや何かして充実した休日を楽しまなくては・・・・と、焦るばかりで結局何もないまま過ぎてしまうのですが(汗)
どうぞ良いお年をお迎えください。
追伸・・「良いお年を・・」のあとに「おとりください」って言ってしまうときがあるんだよなぁ・・年とれって言っちゃ失礼だから気を付けなきゃなぁ・・
ああ・・とりあえず今日何しよう・・ブログも書いちゃったし。
2024年12月26日
うねり
「悪質なクレーマーには熊を送る」と言った秋田県知事の発言は少々過激に過ぎた言葉ですが、でもまぁ県民の命を守らねばならない立場からすれば、度を越えたクレームに対してそういう気持ちにもなるんだろうなぁ・・と。豊かな自然に息づいているものを、意味もなく殺したいなど思うわけもないのだから。
3日前に後援会員の皆さんに会報を郵送しました。その中で海老名駅周辺の開発について概略をお知らせしたことから、何本かお問い合わせの連絡を頂いています。商業施設ができることによって周辺の既存小売店に対する影響を心配する声や、高層建物ができることによる景観や日影の問題など、不安の中で頂くご意見が目立ちます。
私に答えられることはひとつひとつお答え致します。しかし、大きな意味で今海老名のまちが迎えている発展の波を止めることはできないと考えています。なぜならこのようにまちが大きく変貌するようなうねりは、政治や行政といったものが単体で頑張って起動できるものではなく、時のめぐりあわせの中で、交通インフラなど元来まちが持つポテンシャルや都心との距離など地政学的なこと、鉄道事業者などまちの形成に関わる民間大手の動き、大小土地所有者の意向やディベロッパー、核をなす商業施設のマーケティング、それらに対する銀行資本の動向など、様々な要素が何百年に一度みたいなタイミングでマッチし、そして大きなうねりを見せているという事なのだろうと思うので。
駅に向かって歩くとき、いつも見かける百舌鳥(モズ)の個体がいます。今秋のこと。いつもなら稲わらにハヤニエをかけているはずの彼が、裸地になった大地を見つめ、電線の上からブルドーザーに向かってカッカッカッと、切なくも小さな体で縄張りを主張していたっけ・・今年一番むなしい出来事でした。
3日前に後援会員の皆さんに会報を郵送しました。その中で海老名駅周辺の開発について概略をお知らせしたことから、何本かお問い合わせの連絡を頂いています。商業施設ができることによって周辺の既存小売店に対する影響を心配する声や、高層建物ができることによる景観や日影の問題など、不安の中で頂くご意見が目立ちます。
私に答えられることはひとつひとつお答え致します。しかし、大きな意味で今海老名のまちが迎えている発展の波を止めることはできないと考えています。なぜならこのようにまちが大きく変貌するようなうねりは、政治や行政といったものが単体で頑張って起動できるものではなく、時のめぐりあわせの中で、交通インフラなど元来まちが持つポテンシャルや都心との距離など地政学的なこと、鉄道事業者などまちの形成に関わる民間大手の動き、大小土地所有者の意向やディベロッパー、核をなす商業施設のマーケティング、それらに対する銀行資本の動向など、様々な要素が何百年に一度みたいなタイミングでマッチし、そして大きなうねりを見せているという事なのだろうと思うので。
駅に向かって歩くとき、いつも見かける百舌鳥(モズ)の個体がいます。今秋のこと。いつもなら稲わらにハヤニエをかけているはずの彼が、裸地になった大地を見つめ、電線の上からブルドーザーに向かってカッカッカッと、切なくも小さな体で縄張りを主張していたっけ・・今年一番むなしい出来事でした。
2024年12月25日
たじろぐ
いわゆる103万円の壁の議論を見ていると、そのことによって減収となる何兆円の財源をどうする?ということになるのですが、「そんな財源あるわけないでしょ」と私は思ってしまいます。問題は目先の税収を大事にするか、この国の経済力を維持するためにいっとき不自由な思いをしても労働資本を増やす努力をするか、という選択肢の中で政治決断ができるか、ということでは?
もっとも、「扶養」というものの考え方自体がすでに時代に合わないと、そう思うのですが。
さて、年の瀬ですね。ついこの前、正月を過ごしたばかりのような・・その過ぎて行った時間の速さにたじろぐばかりです。
もっとも、「扶養」というものの考え方自体がすでに時代に合わないと、そう思うのですが。
さて、年の瀬ですね。ついこの前、正月を過ごしたばかりのような・・その過ぎて行った時間の速さにたじろぐばかりです。
2024年12月22日
甘利先生
昨日、甘利明先生の活動報告会がありました。
41年間の政治生活を初当選の頃から振り返り、地元の海老名を始め一つ一つのまちで取り組んだ地域課題とそれにまつわる思い出を語り、そして経済政治家として取り組んで来た「知的財産戦略」「半導体戦略」「経済安全保障」などについて思いの丈を語って下さいました。
その上で「私も75歳、短くなった残りの人生、日本の人たちがこの国に生まれて良かったと思ってくれるよう、経済政策に取り組みたい。ただ選挙については次の人に譲りたい」と、今後も政治経済についての活動は続けつつも、国会議員としては引退する気持ちを明らかにされました。

甘利代議士の41年。私も市議に初当選してから31年。オーバーラップする長い時間の中に生まれた思い出はとてもこの小欄では語りつくせないものがあります。ただただ悔しいのは、その最後になって選挙区が改編され、甘利さんの傍にいることができなかったこと。運命とかめぐりあわせとか、そういうことなのでしょうけれど、言うなれば時代はあまりに冷たすぎました。
「おつかれさまでした、何かお役にたつことがあれば何でも言って下さい」
最後に言おうと考えた言葉も、最後まで言葉になりませんでした。
41年間の政治生活を初当選の頃から振り返り、地元の海老名を始め一つ一つのまちで取り組んだ地域課題とそれにまつわる思い出を語り、そして経済政治家として取り組んで来た「知的財産戦略」「半導体戦略」「経済安全保障」などについて思いの丈を語って下さいました。
その上で「私も75歳、短くなった残りの人生、日本の人たちがこの国に生まれて良かったと思ってくれるよう、経済政策に取り組みたい。ただ選挙については次の人に譲りたい」と、今後も政治経済についての活動は続けつつも、国会議員としては引退する気持ちを明らかにされました。

甘利代議士の41年。私も市議に初当選してから31年。オーバーラップする長い時間の中に生まれた思い出はとてもこの小欄では語りつくせないものがあります。ただただ悔しいのは、その最後になって選挙区が改編され、甘利さんの傍にいることができなかったこと。運命とかめぐりあわせとか、そういうことなのでしょうけれど、言うなれば時代はあまりに冷たすぎました。
「おつかれさまでした、何かお役にたつことがあれば何でも言って下さい」
最後に言おうと考えた言葉も、最後まで言葉になりませんでした。